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景色・景観

船岡山(船岡公園)

 小千谷本町通の南方丘陵地帯を切り開いた。古くは、諸街道結節地の宿場としてや縮布関係などの産業として栄えた町むら薪山一つとして入会(共有)地だったが、次第に有力商人の個人有に転換され墓所などに利用されてきた。この丘陵地の南面の田園地帯が広がる地点には小千谷村のルーツである「田島名」という中世の名田が営まれていた。

 船岡公園の創設は日清・日露戦争の戦死者を祭る招魂社の場として小千谷町によって開かれた。
 あわせて戊辰戦役のときの小千谷地域における西軍(官軍)方の戦死者墓碑も整備された。敷地は地主の井口氏、山本氏の寄付同然の提供による。


<明治期の船岡山山頂>
 昭和5年6月北越新報の五十周年記念の行事として新潟新八景の一つに選ばれた。

 近年は樹木も適当に生い茂り眺望も限定され、また広場にも石造物が乱雑気味に建設されるなどして古きよき時代を観照する市民の憩いの場としての人気も今ひとつの感あるという声が聞かれる。

船岡山の中腹(東側)に建っている八勝楼の献額に収められている。
・船岡山夜雨
・旭橋春靄
・五智院晩鐘
・山辺村秋田
・湯殿川蛍火
・信濃川秋月
・二荒社紅葉
・駒岳春雪

 伝説に延喜式内伊米神社の祭神石凝登賣命(いしごりとめみこと)又の名屋船豊宇氣比賣命(ふねとようげひめみこと)最初臨幸ありし神蹟なりと云う。此命は船の道を護らせ玉ふ故に船人の語に船を「うける」抔云ふも命の名に基くものと云り山内所々に神秘と稱する處あり四方の展望に富み常に文人雅客登山して詩を吟し歌を詠する名所なり古大家の詩歌ありと言伝ふれど未だ見るを得ず。(『温故の栞』)




船岡山から山本山橋方面を望む