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神社・仏閣と芸能

妙高寺と愛染明王

《駒形山妙高寺》(小千谷市大字川井)
 創建は鎌倉から南北朝時代にかけ越後国波多岐庄を中心に勢力を展開した新田一族の里見氏の系統が愛染明王を当地に移したことによる開山と伝える。元来は古代修験道の聖地から発展した山城、河井城(内ヶ巻城)近くの屋敷に位置した。
 大正13年、火災で本堂、庫裡、山門など本尊愛染明王座像を除く全部が焼失したことにより現在地に再建される。

アクセス:関越自動車道・川口インターから車10分


愛染明王座像(国重要文化財)
文献資料
 『文化二年寅五月越後国魚沼郡御領所風土記書出方』所収の「当代十一世現住 林全」の書出しによれば「当寺は村より南9町南の方山の上にあり、開基は請津天海和尚。田中大内蔵の位牌に正平7年(1352)亥初秋の年号で開基大倉院殿賢安長聖大居士。曹洞宗の僧、古志郡村松村洞照寺の五世果翁良柵和尚により中興される。本堂は7間半・11間半で本尊は座像愛染明王。丈四尺五寸、木像にて昆首羯磨天の彫刻。毎年6月朔日に祭礼あり、詣でに来る者多くある」という。

『文化二年寅五月越後国魚沼郡御領所風土記書出方』(『小千谷・川口の文化誌伊乎乃第2号』所収)

 駒形山妙高寺十一世住職林全の黒印がある。
 文化2年川井村より会津藩に提出されたものの村方保存用文書。
 旧川井村川端の森右衛門家(もりえん)に伝えられたものであるという。森右衛門家は中世の川端名(十九半名のうちの一名)の名主を務めた家系で、近世を通じ川井村の重立衆であった。