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支那事変・陣中日誌
(その1)
『小千谷文化』第144号掲載

(その1つづき・第114号P43〜P47)

十月四日 曇
 砲の音に夜が明けた 明け方此の建物に機関銃の射嚇を受けた 午前、昨日碼頭にて使役を兼ねて大安丸へ朝食を食べに織田少尉から葉巻二糎頂く 砲の音は遠く又すぐ江の中に聞こえる 宿舎の浦の河の中に死体一個あり 分隊の岡田留作先輩は倉庫にあつた綿と紙が寝具代用

十月五日 曇
 今日弾の音に……先日上陸地点は日本郵船碼頭 一日舎内に在り 昨日から様々なものがちょうはつされて来る 酒、靴、カミソリ、鏡、やかん、鍋、時計、油、コンロ等々 夜空襲を受く 初めて弾の音を身近に聞き案外自分の落ち着きあることを知る 佐藤恒太郎腹痛にて大隊医務室まで二回往復する宵に空襲を受けたきりにて何ともなし 江上の軍艦の防備力強し いよいよ明日出発目的地は月浦鎮 約六里と云う 相手は直系軍 夕方遠く日本機の空爆で屋上にて見る

十月六日 曇
 夜中に佐藤恒太郎帰る かわって金沢豊三腹痛にて倒れる 遂に殊留となる 午前営兵所前にて支那人射殺さる 正午より日直下士官申し受くる 出発は今夜八時 7時半出発する

十月七日 曇後雨
 強行軍だった 明けてようやく月浦鎮に着 各部隊付近部落に落ち着く 猛烈なる戦場だったところにて付近死体がゴロゴロしている 第一線は間近にある 支那軍陣地の堅個なるに驚く コレラ、赤痢のそうくつにて目下のところ其の方が敵よりおそろし 昼食頃さかんな銃砲声が聞こえる 敵まで近い所で三粁毎夜空襲があると云う 部落は全部破壊されている 水は隣部落に二つ井戸あり 部落の周りにはクリークが掘られている四十日程の前の戦場と云う 美しい風光の地江南の春と云う言葉がしのばれる 綿の実が全部落ちている 野菜畑は早速利用される 稲は近い内に土民に刈らせるのだと云う 月浦鎮を中心に大分集結している 午後近く雨となる夜に入って益々猛烈に降る 天幕はもる みじめだ実際誰かに見せられない有様だ

十月八日 雨
 朝雨の晴れ間に天幕を張替る 夜通し猛烈な戦斗が続けられていた ルリが美しい声で啼いている 天幕の周りは泥田の様だ 野犬が多い 午前分隊長だけ支那軍の守った陣地を見てまわる 日本軍の苦戦がしのばれる 何を撃つのか食物係がさかんに射撃している 家の浦に日本兵の遺品がある鉄帽に弾痕あり 機関銃のホタン権がちらばっている 砲の音がする度に雨が激しくなる 雨に濡れた遠近の部落の風景も美しい これからの敵陣地は一層堅個なると云う すぐ前の部落に死体五十程がある 蝿の多いのにはへいこうする蚊もまだ多い 十一月頃まで居るそうだ蝿が苦になる様ならまだ第一線の兵士では無いと云うが 先日の上海宿舎は永安紡績工場 一日雨が止まぬ 天幕の雨もりも

十月九日 雨
 一晩中雨になやまされ寒さに震いながら夜が明けた 昨日今暁四時出発と云う話あり 気早な連中は幕舎を撤収したので夜通し雨の中に居た 午前中隊の部落にて分隊長以上の演習あり 二中隊事務所の家には支那人家族が居る 右隣の部落の門には「王氏家廊」とある額あり家の中に二個の棺あり 昨夜は銃砲声が少なかった 正午過ぎさかんな銃砲声あり 部落の後方案外近くに揚子江のあったのには驚く 汽船のサイレンが聞こえる この地点より敵前上陸せるものとの由

十月十日 雨
 昨晩は第一小隊の五分隊に泊めてもらった 午前煙草を買いに半日歩きまわったがようやく三個頂戴することを得た 天幕の中昨日敷いた麦藁も今日ははやぬれてしまった 今日は支那軍の壕からアンペラを得て屋根をふく 分隊員六名昼食携行にて使役に出た 昨夜友軍百三旅団に同志打ちありと云う 支那軍にて日本国旗を挙げて万歳をとなえる者ありと云う 一日中降り続いた

十月十一日 晴時々曇
 久しぶりで陽の光に浴す暖かい日差しだった 今日より書簡受付で書簡書と洗濯で忙しかった 今日は弾の音が少ない 壕より支那軍の小銃を持って外でいたずらする 此の近くに日本軍の軽機分隊分隊長以下数名の死体ありと云う 夕食の味噌汁がうまかった

十月十二日 晴
 明日出発らしい昨晩は弾の音が何時にもなく少なかった 戦線がいくらか進んだ由 朝雨に明けたが意外に晴 夕食後揚子江岸近くまで散歩する

十月十三日 快晴
 素晴らしき晴天昨夜は弾の音は全くなかった 午前大隊の演習あり 分隊長以上に旅団長、朕隊長、大隊長の講評が長かったのには閉口した 愈々明日出発十六日より総攻撃に移ると云う午後一時間程小隊教練假設敵もないので気合が入らぬ 有力なるトーチカが一つ落ちたと云う 反軍の飛行機が多くなった夕方ちょっと雨がぱらつく

十月十四日 快晴
 午前五時半起床にて分隊長以上R本部前にて聯隊長の訓示 美しく夜が明ける愈々出発 午前十時出発準備 午前十一時半R本部前出発 途中悪路周宅 李家綱を過ぎて石家沿部落に午後三時着 部落の池に土民の死体がごろごろしている 此処にて宿営 早速食物徴発 部落にまだ婦女子が多数いる 山羊をさかんに持って来る 近所部落にて皇軍の輸送部隊の襲撃された跡あり 書類が散乱している 養魚池多し 空襲あり第一線の砲弾の音近し

十月十五日 晴
 昨夜歩哨の折また空襲あり 第一線の小銃声まで聞こえた 午前三時にも又此の時は大分近かった 五時半整列にて第二小隊全員三里半前線剣家行より三粁程前方に工兵隊の道路作業の応援に行く 道に支那兵の死体がごろごろしている 皇軍の負傷兵が散歩している 第九師団との由 午前は一線より九百mほど後方折々銃弾と迫撃砲弾が飛んで来る 劉家行台砲の射つ彈が頭の上をうなって飛ぶ 前線よりさかんに負傷兵が運ばれて来る 午後は四百m程前進 第一線はすぐ見える敵の小銃軽関銃弾がさかんに飛んで来る 最初はどぎもをぬかしたが後は平気だった 彈の下の事故 仕事ははかどった 午後一時半完了し帰還の途につく 処々に遺骸を焼いていた 四時石家沿いに着く 今日は彈の下でよい経験を得た 道は近く部隊が通過するのだと云う 六時金沢上等兵上海より来る

十月十六日 快晴
 大分夜は寒くなつた 足の捻挫の為午前午後共に演習に出なかった 夕刻織田少尉を訪れる すぐ近く支那軍の墜落した飛行機が畑の中にある ガソリンパイプにて煙草パイプを作る 今日は飛行機がさかんに飛ぶ サヌキ豆を挑発してきた者ありランプが欲しい 石油はある 一日煙草パイプ作りをする 支那部隊にはどこでも裏手には竹やぶあり 兵隊は大いに竹を利用する 現に寝ておる家も竹ばかりで出来ている家である アンペラも此の辺では竹製だ 月浦鎮にて大いに利用した 手桶は支那人の便器なり 副食物には毎日弱らせられる もう近くには里芋もたえてしまった 水は濾水器でやっているがなかなかどうも戦地に居る気がしない 収穫してある麦を煎って麦茶が出来る クリークにはヒシの實が多い 煎り豆も食べた 山羊も大分食われてしまった 今度は犬をと計画して居るものがある ニンニクも大分食べている 胡麻を見つけて来る者もいる 支那服を着て居る者も大分見える 今日、岡田、 呉淞まで煙草を買いに行ってきた

十月十七日 快晴
 朝食前にクリークより魚一匹をとってきた 午前兵器検査 まるで戦場の様でない 午後の演習も足の為欠場 食物係がニラを見つけてきた 昨夜は弾の音ほとんどなし クリークよりスッポンを見つけた者あり 魚は夕食まで二匹となり夕食の菜となる 夕刻隣部落の支那人の家を訪問 文字にて会話す 午後八時空襲あり

十月十八日 快晴
 夜一時半猛烈なる空襲を受く 付近に高射砲の破片が落ちた午前演習に整列したが出発することに変更 十一時半大隊整列 明払暁新木橋の敵を攻撃する由いよいよ第一線に出ることになる 午後0時三十分出発 劉家行を 午後五時十字路を右に折れてより疎開す 弾はしきりに来る 疎開のまま夕食 大隊第一線もうやられた者がある 敵は近い 第四中隊第一小隊は大梱監視 いよいよ前進 二、三小隊は予備隊 約三百m前進の後軍旗護衛小隊にて引き返す 部落に入ったが銃砲弾さかんに来る 壁を破って一発飛んで来た 夜に入って益々さかんになる 入った部落の家の中にまで壕がある

十月十九日 快晴
 昨日給水車と共に来る 佐藤勝治分隊へ帰る 昨夜第一小隊にて負傷者二名 昨夜の支那軍の射撃は猛烈だった 夜通し間断がなかった 朝、金沢上等兵、平沢、金子中隊と連絡をとってきた 第二中隊の負傷兵一名運ばれて来た 南魚沼の大崎村出身と云う 昨日疎開のまま夕食の折月浦鎮に於ける傑作のパイプを忘れてきたのは返す返すも残念 当分の間軍旗小隊と云う 目下の相手は学生軍と云う なかなか堅個な陣地らしい 負傷者が次々と運ばれて来る 次第に弾の音が激しくなって夜に入る 夕刻戦死者一名運ばれた 今夜は満月が毎夜の美しい月明かりも弾の音でかきみだされる 夜もやの中からさかんに飛んで来る 時々建物や立木にあたる音が不気味だ よく弾が続くと思われる 「屍のまくら辺の線香をたやさぬこと」屍体兵の申送り事項 遠く馬のいななきもする

十月二十日 快晴
 一点の曇りなし 反軍の空爆に夜が明ける 現在地劉家行の東方役二粁小張宅 昨夜の射撃は前日に益した 昨日の戦死者を火葬す 通信隊に僧侶あり 読経をあげた

(次号へ つづく)