支那事変・陣中日誌
(その2)
『小千谷文化』第145号掲載 |
同時に網島重雄上等兵(西頸根知村大蔵戸出身)昨日来た補充員の小山戦死す 神戸の懸橋さんから書簡頂く
十月二十八日 晴
午前は中隊の位置載家宅西南方陣地に移動す 第一小隊大隊の予備隊にて後退 山砲隊の観測鏡をのぞかせて頂く 例の弾薬庫を見る ものすごいインペイ壕が出来て居る 折々監視兵が出ると云う 煙突を見る 銃眼より銃がのぞいているのを見る 四中隊と共力していた R機関銃一〇四Rの機関銃と交代す 朝会った工兵隊に杵渕さんがいた 夕方より雲が多い
十月二十九日 晴後曇
未明雨の音が少ししたが今日は腹が下るとい 原市場京都丸山正治、成駒より書簡が来た 左隣の部落六五Rの方でさかんに銃砲声がしたが大分前方に出たらしい 迫撃砲も今日は大分少ない 金沢下痢にて僥家宅へ下る 中隊長も下痢にて同じく 二十一日戦斗に五十八死傷者一三百余名とのこと 平沢新田出身指揮班の横田上等兵二十一日より行方不明午後より雲が厚くなった 雨になるらしくない 夕方一寸パラパラしたが 一線に出てより糧食にはつくづくこまる 一寸動こうものならすぐ腹がへる
十月三十日 時々雨
遂に雨となる 小雨だがもう壕の中は泥 下痢は益々猛烈だ 中隊でも大分後方へ下った者がある 昼食の折中隊長全員に酒を振舞う すき腹故か大分よっぱらった よっぱらった勢いに小張宅まで朝霧の中食事当番を指揮して行って来た 下痢のところへ酒だからだいぶこわかった まだまだところどころ射撃を受ける 午後は雲が厚いが雨は降らん 天我に幸するか今日は煙草が完全にたえたがまた一ヶもらった第二中隊は廣福弾薬庫へ五〇mまで接近せると云う 支那の一部に停戦論が出はじめたと云う 毎日飛行機は支那へビラをまいている 背のうと共に置いた万年筆、精米袋、飯盒、天幕、携帯燃料、靴下、ホ−クが紛失していた
十月三十一日 時々雨
昨夜は銃声もうれつだった壕の中は益々泥だらけ 下痢もちっとも治りそうにない 後方へ下るのも続々 コレラ患者も大分ある コレラで死んだ者中隊で二名 岡田留作後方へ下る 夕方粥を炊いて食べたが神戸以来入浴しないが大して苦にもならぬ ひげも大分のびた 昼間は彈の音少し 下痢も先日迄のくさい飯とこの雨の為にやられたらしい
十一月一日 時々雨
昨夜迫撃砲がすぐ近所へ落ちたが何時もよりは彈の数が少なかった 下痢はまだまだ 空も又いつ晴れるともない雨空 泥の壕の中蛙が人食顔にこちらを見ている 食事を取りにゆくものも今日は少ない 午前金子金吉、相田剛後方へ下る 二、三日前嘉定が落ちたと云う 午後久々にて交代 一〇四聯隊の僥家宅背のうの位置に相田たおれていた 分隊員最後まで残ったもの平沢、佐藤四、佐藤勝、佐藤恒共五名 急造担架にて相田を第四野戦病院まで送り中隊の位置についたのは真っ暗になってからだった この部落は野戦病院の跡にて今までの内で一番良い宿舎だ
十一月二日 午後雨
久しぶりでゆったり休めた 夜中火も炊けた 銃砲声は遠かった 佐藤勝治が「コレラ」らしい 明日は出発の由にて明日の明治節の加給品が今日渡る 午後僥家宅まで戦死傷者の背のう兵器等を取りにゆく 雨に降られてみじめだった明日までコレラ患者十五名の内十三名死亡 戦死者九名 相田君は死んだらしい 午前島内に酒保から角砂糖、煙草を買ってもらった 加給品煙草、スルメ一切、アメ二ヶ、豆五粒程、副食物に肉あり 久しぶりで暖かい飯を喰う 佐藤勝も遂に入院 佐藤恒と共に送ってゆく 歩いて行ったがなかなか骨が折れた おまけに雨 夜九時帰り明日の準備をする明日は羅店鎮近く台湾部落と交代の由 コレラ患者今日一日でも大分出た 病院がもう無いとの由 昼食を僥家宅の一〇四Rから御馳走になる 僥家宅へ行く途中高清さんに会う負傷して入院中なりと云う
十一月三日 曇
六・三〇整列 分隊は大隊の給水車運搬 道はよし天気はよし 途中羅店鎮を通過良い町らしい 台湾の混成旅団 重藤部落と交代の由 給水車を大隊本部に届けてより 中隊の位置判らず途中にて一泊す 平沢君と話ながら来た 平沢君の負傷は誤なるを知る 途中富沢屋さんから星野君の戦死を聞く
十一月四日 曇
午前中隊に復的(朱宅)敵前ではあるがただ監視哨があるだけで至極おだやかの戦線だ 彈の音も少なく 部落で炊さんも出来る 付近に野菜も沢山ある雛も居る鴨も 水もたいして不自由でない 庭にテ−ブルを出して会食も出来る 部落は全々こわれてない 敵はあまり抵抗せずに退却したところらしい二〇〇m程前方劉河の向う側の堤に敵陣地ありと云う 夜間は折々近くの部落まで接近すると云う 揚子江も五〇〇m程と云う 軍艦が多く見える由 午後日直下士官申受支那竹の干物がうまい
十一月五日 曇夕方より雨
夜インペイ壕に下士哨となる 今後は毎夜人員不足で保歩哨に立つ 敵の話声が聞こえた これが一線かと思う程彈は来ない 朝さかんにラッパを吹いていた 午後一小隊の歩哨線にて敵陣地を見た 支那兵もうろうろしていたが新木橋の敵よりはズ−トたいしたことはない すぐ近く揚子江が見える 江の向う側は見えない 軍艦が見えた 汁の中に入れたサツマ芋がうまい 野菜は充分にある 夕刻豚を見つけて来た そうとう大きい 夕方またさかんに喇叭(ラッパ)の音がする 夕方より雨となる 夜通しインペイ壕の中で雨漏りになやまされた といと牛ヶ島(といさんと牛ヶ島の人)から便りが来た 上海戦線の敵は退却中なりと云う 蝿が多い
十一月六日
至極のんびりした戦線だ 午後揚子江近くまで野菜を探しに行って来た 女学校一年生より便り来る といから神戸で送った写真が出来て来た 牛ヶ島からも
十一月七日 雨
夜中より雨が降り出し一日中雨が降っていた 壕の中はすっかり雨びたし 夕方歩哨の位置を移動す 午後に小隊連絡傍々斤候に佐藤恒と行って来た 宮博、西義さん、渡清さん、根津君より便り来る
十一月八日 晴
久しぶりにて日を拝す 昨夕より雨となり大分弱った その上夜中に敵襲と見あやまった歩哨があった為一晩中全く寝ることが出来なかった 美しい夜は明けたが風がある 今日は分隊の陣地を家のすぐ裏へ移動す 今日より金子綱、岡田立哨す 大いに歩哨も楽になる 女学校二年生より今日も慰問文来る
十一月九日 快晴
朝昨日までの陣地の付近より老婆二名連れて来た 昨夜だいぶおどかされた 歩哨がある由 よく晴れた気持良い日午前付近をすっかり清掃し大きい桶を見つけて風呂を沸かし久しぶりにて戦塵を落す 野菜を徴発帰途茶碗を見つけて来た ゴマ、空豆、はぜとうまめ、麦等、お茶ものめる 明日から茶碗でご飯がいただける 今日は大隊が第一線近く出る 第三中隊が一線につく 三小隊は中隊に近く来る 一日中雲一つなく弦月美しく日が暮れる
十一月十日 夕方より曇
船以来の茶碗のご飯に茶碗の汁 汁の味噌、醤油があればもう異常ないんだが 十二日より友軍の砲爆撃が開始せらると云う 午前壕の修理午後交通壕を掘る 午前島岡今日より開始せられた 大隊の酒保(軍隊の販売店)へ行って氷砂糖、パイナップル一罐詰ヲ買って来る 薪徴発に行った者が芋と間違って支那米を背負ってきた 夕食は支那米うまい 夕方より曇となる
十一月十一日 晴後曇
夜通し暖かく雨になるかと思われたが美しい夜明けだった 午後揚子江岸まで野菜を取りに行く 途中部落に支那人の老婆二名と子供一名居った 野菜其の他当分徴発しなくともすむ 今夜も暖かい
十一月十二日 曇後雨
夜中一時半過ぎ突然出発準備の命下る 支那軍は退却中なり よって大隊は劉河鎮を確保して退る敵を射つと云う 午前九時ようよう確実な命令下る 第一、三小隊は直ぐに出発 二小隊は残って騎兵部隊と交代の申送り 第二分隊は六分隊と共に第一小隊の警備地王宅に移る チャン酒あり三十貫程の豚あり 早速殺して夕食をかざる 午後雨の中陸家宅まで糧まつを取りがてら中隊の出た楊宅まで分隊の俸給を取りに行く 久しぶりでふところ暖かし その間に騎兵部隊到着 勤務を申し送った為これも久しぶりにのんびりした 夜を送れる夕食後騎兵の者と座談会チャン酒にくみかわして南翔は二、三日前に落ちたと云う 嘉定も今朝今度は確実に落ちたと云う しばらくのんびりした 第一線で体の調子は確実に回復した この王宅は上海戦線最右翼 前面には二重の銃眼を作って居る 折々は近くに彈が落ちる 今日は少しは退却したらしい 昨日中隊の行くところの敵は今日一ヶ小隊ばかり行った ところがもう敵は居らなかったとのこと
十一月十三日 曇後雨
午前三時騎兵隊突然移動し又歩哨を出したが午前六時半この線を引き払って中隊と合し十三師団全員の迫撃に加わる第三中隊の大川君より面会日に揚がった写真をもらった 途中一回線戦斗ありの大隊の制圧の中部隊へ前進 一日中迫撃す 途々堅固なる敵陣地あり まだ逃げて間もないらしい途中土民十一名を殺す 嘉?県尚農初級小学校の前に休息して雑記長、鉛筆??????岡田君目覚まし時計を持って来た 土民が続々避難している 夕近く敵前を横に散開し射撃しつつ約五00mをを敵の射撃を受けながら今夜の守備地?家宅に着く その折小千谷出身新保留作君負傷す守備地について間もなく砲の射撃で敵は沈黙す 同部落に今井少尉、久保田嘉平君がいた この部落にはまだ土民がいて醤油もあり野菜もほうれん草に鶏と鴨が沢山居る 砂糖もあり塩もある すべてがそろっている 明日の飯は土民の米にて炊さん鶏汁がうまい 陣地を作って夜通し警戒 敵からは彈は一発も来なくなった
十一月十四日 晴
朝十一時今井少尉??報告に 前方の陣地にはもう一兵も居らない由 サツマ芋、南京豆、乾魚等間食も充分 久保田君より煙草をいただいた 午前工兵と共に家屋をこわし渡河準備をしたが正午前もうその必要なしの命ありとりやめとなる 昼食もそこそこに出発 今日は師団の予備隊との由 水牛やロ馬を徴発して荷物を盛んに運搬させている 土民も大いに利用した この付近は棉も米も収穫してもう麦が青い芽を出している 夕食後また行軍を続ける すっかりつかれた 敵の逃足ははやい 午前出発前に山羊の乳をしぼってのんだ 行軍はとうとう夜の二時迄続いた
十一月十五日 晴後雲
石家庄の町の入り口近くの一軒屋の軒端に夜を過ごす 米が不足を感じる 後方よりの糧まつはとどきようもない 付近に鶏、家鴨おおく菜と共にに大いに御馳走になる 夜ほとんどねむる時間はなかった 石家庄部落にて米を徴発した二、三日は心配なし そうとうの暮らしをしている支那人の家に入り込んで御馳走になる 正午過ぎ出発 今日も迫撃が続く 夜一時半まで続いた 岡田支配人をつかまえて背のうを背負わせた ロバ、牛等さかんに使用している 梅李鎭にて宿る 金子君乾ナツメを見つけた 今日は師団の予備隊
十一月十六日 雨
飯を炊く暇なく午前五時出発 途中他部隊の残飯を喰った 友軍の銃砲声近し 午後より旅団の本隊となる 島岡、岡田午前落伍す 落伍者続々それに雨のぬかるみ背にくい込む背のう どこまで続いてどこで宿るのやら田のあぜ程の道夕刻ちょっとした町で大休止約二時間 八時また出発雨は小降りとなる 途中梅のチヤン酒づけと乾魚を得た 約一時間程行って引き返す 町中に宿る 菜一汁を作り支那酒をのむ久しぶりで酔った
十一月十七日 曇
朝九時出発をしたが町をぬけると停止してしまった 大隊の行李班長追及す 昨夜少し眠れたのでいくらからくだ 背のうの不用品を大分下した また小雨が降る 米の不足、副食物、煙草の不足を感ずる 停止中 他部隊より麦粉の団子をもらった 中山禮治さんにお会いした 補充隊で来て五中隊の由 斎藤平吉さん負傷されて入院中の由 三仏生の孫七さんの人と廣川を中心に話し合う 砂糖を少々もらった 一一六Rの落伍者で一〇余名残兵にやられた由 討匪行雪の進軍等の軍歌そのままの行軍 彈の音はごく近い 折々付近に落ちる 今日は第三回の支那側停戦要求に対し回答する日なりとの由 この前に大分敵は頑強に抵抗して居るらしい 午前中田の中に居る 午後また後の町に引返し道をかえて前進 夜九時部落に入り宿営 豚を見つけて殺す 当分の副食物になる 麦粉を見つけて団子を作る 米は今日また補充してまず当分不自由なし
十一月十八日 雨
今日もまた雨に明ける 朝五時突然の出発命令に朝食もそこそこに飛び出したが今日もまた旅団の予備隊となるのでまた家に入る 戦線は近くしばらく旅団は移動しないらしい前方の敵はほういして武装解除をやる予定ありとのこと この家は相当の暮らしをして居る者らしい 豪奢な着物が天井裏へ沢山隠してあった 煙草全々欠乏 ひろうくわいふくせず 昼近く出発 第一線に増加 総体本部の位置の前方より分隊全員斥候に出さる 午後三時中隊に帰り第二中隊の戦線へ 水筒に湯を運ぶ 彈はさかんにくる 大しては射たないが迫撃砲もあるらしい 中隊も大隊の位置へ来るまでに一名負傷す 付近の野天わらをかむって路営
十一月十九日 雨
夜中の猛烈な雨に部落の中に入る また退却R本部の位置へ 残敵掃討に出かけた第三小隊小隊長負傷す(尾原少尉) 夕刻R本部移動にて前進 夜残敵の居る部落へ夜襲 幸か不幸か敵は退却したばかり 斥候に出てひやひやさせられた 土民を殺し部落に火をつけて引き上げた 夜またR本部前進 それに同行約一時間余り また迫撃敵の陣地ものすごし
十一月二十日 雨
昨夜に引続き一睡もせず目が痛い どこまで続くぬかるみだ 煙草は絶え果てた 午前一寸本道上に出る 疲れも過ぎると割に苦にならんもんだがなかなか 午後田荘鎭の街をぬけて近くの部落に宿営
十一月二十一日 雨
今日も暗い内に出発 一昨日の戦斗に四中隊戦死二負傷四 寒い北風が吹く 折々アラレが降る 手がつめたい 相変わらず泥まみれ 出発すぐ小高い山を越す 山が珍しい 午後馬嘶郷に着宿営 この地に支那兵営もある由 味の素、そうめん、麦粉一袋、砂糖、煙草などものすごい徴発 逃げ遅れた残兵さかんに居る 夕近く舟にて逃げる者八名を殺す青年将校のタイゼン自若たるところあっぱれなり 夜十時大隊の衛兵指令を命ぜらる
十一月十二日 晴
よく晴れた 昨夜衛兵中四名を残し八名で十二時より 本部下にと共に総体本部へ行き午前七時帰る その為衛兵は本日休養して後より続行の命を受く 正午第三大隊と共に前進 この地には支那兵営がある由 南新橋にてR本部と共に宿営 夜通し第一線に銃砲声が聞こえた
十一月二十三日 曇
午前郁家橋鎮近く中隊に合し直ちに攻撃前進 敵はさかんに撃つ 死傷者も大分出たらしい 郁家橋鎮の入り口にて一先ず大隊集結 朝十一時豪家に入って相当のいものあり 菓子、卵、腕輪等々 この街にはまた相当な敵陣地あり前進街にはいったがクリ−クをへだてた向う側にまだ敵が居る何も居らんと思って二、三人と共にぶらぶらして居るところを突然狙撃された 敵を約一〇〇mへだてて炊さん 夕刻クリ−ク前方の敵掃とうの任務にて部落の東北より前進したが敵のつけた火災の風下にて思うようにならず 一先ず下り後部落東方の堆土に出る 夜通し過ごす ここに出るまでに中隊死者一名負傷者三名 夕方少し雪がちらちらした
十一月二十四日 晴
寒い夜だった 夜通し敵とにらみ合 拂暁側射を受けつつ移動 街の焼跡に入る 敵とは五〇m 午前八時敵のさかんに射撃して居る 機銃の彈が身近く飛んで来た 中隊にまた負傷が出た二名 小隊長小林準尉と金沢は煉瓦の破片にかすり傷を受けたがたいしたことはない 九時砲兵の射撃の為一時後方へ退る 途中畑に霜がおりていた 水がめに氷が張っていた 続いて第二中隊の強行渡河援助にてまた東北の堆土に出る 大いに射撃したが遂に渡河することが出来なかった その中ひさびさに迫撃砲彈がさかんに落ち一時クリ−クの線に退る時午後二時またクリ−クの右の部落に入り宿営 迫撃はまだ続いた
十一月二十五日 快晴
夜十一時霜の夜空を第一大隊は右へ迂回 一一六Rの一線陣地を船にて渡河 一里余り続いた 敵陣地を後方より郁家橋鎮の敵陣地へ向かって攻撃前進 正面新木橋とまで思われた敵も案外もろく大隊に軽傷者一名のみにて 十一時郁家橋前方陣地を占領 途々残敵土民をさかんに殺し家をさかんに焼いた 郁家橋の敵陣地の堅固に驚く 昨日さかんに討射った敵のいん蓋はコンクリにて固め銃眼に鉄の扉があった 糧食も多く敵はずっと抵抗する予定らしかった 日の丸を振って友軍が連絡を取ってくれた時程日の丸を感激して見たことはない 正午出発また西北に向かって前進を続ける 佐藤四郎遺骨整理の使役に残る 大隊の戦死者も大分あったらしい 途中ひさびさにて広い道路に出る 右に山脈が続いて居る あの山の線までが十三師団の任務と云うが朱宅を出発してより大分歩いた 夕刻大きい街近くまで来たが街はまだ一一六Rがさかんに攻撃中 付近の部落に宿営 支配人の老婆が作ってくれた料理と漬け菜がうまい
十一月二十六日 快晴
今日も霜美しく明ける 前の街はまだ落ちず 山砲がさかんに射って居る 今日行く山の向こうには鉄道があると云う いったいどの位歩いてどの辺に居ってどこに行くのやら午後平沢平治と話し合う 佐藤四郎帰る 昨日から道も堅く歩きよいが相変わらず一列行進には弱る 煙草は先日より徴発の支那刻にて間に合わせている 最初は見向きもしなかった支那味噌も皆が食うもの沢山ある 今日は夕刻まで何もなく夕方より旅団の予備隊となり移動す
十一月二十七日 曇
未明四時小隊長と佐藤恒と共に約四Kmを道路偵察に出る 工兵の架橋地点より引き返す 帰ったら旅団は既に出発朝食を済ませ追いかける 十時三〇分ようよう追いつき旅団と共に前進 途中ひさびさにて櫓網?以来一六五Rに出合う 午後四時青暘鎮につく この地点一〇四Rが既に通過したところだが残兵が大分居った 街は相当大きい 撫錫と江陰との間の自動車道路あり 戦車も同時に撫錫から来た 久しぶりに自動車も見た この街の中央部に石橋あり 橋上にて旅団長の記念撮影中に偶然入った街を引返し自動車道を北進 じばらくし又西に入る その頃より雨がポツポツあたる六時宿営 残兵が居った家にいた老人に炊事をさせる チャン酒が沢山ある
十一月二十八日 快晴
昨夜あやぶまれた天気も今日は異常なし 午前の徴発にて鶏と屋根の上に味噌がめのあることを知ったのは大発見だった それがため負傷者一名あり 午前中二交代の小隊が来たが午後旅団と共に出発 新簫鎮にて旅団と分かれて北方の山の麓王家村にて中隊に復帰 この山麓から頂上にかけて数百の敵が居り友軍にかこまれて逃げ場を失っている由 第一大隊第一線四中隊は予備隊 江陰へは一里半位の由 島岡分隊に復帰す 岡田の行方不明
十一月二十九日 快晴
夜二回移動し暁聯隊の予備隊となり一線を三大隊と交代新簫鎮まで退り朝食後R本部の前進についてまた王家まで出る 新簫での小学校でちょっと休憩す 午前中砲兵の山頂へ向かっての砲撃が手に取るように見える 朝方までさかんだった銃声も大分少なくなった眼鏡で山頂へ向かって逃げる敵が見える 砲撃はさかんに続く ものすごき極みだ 正午第四中隊特別任務にて王家村の左方より山の麓へ向かって攻撃前進 疎開するやさかんな射撃を受け遂に中隊長負傷さる時午後二時 その内にまた迫撃砲の射撃を受け遂に後方の部落に退る 午後五時三〇分今度は大隊の攻撃 四中隊右一線躍進 敵前約三〇〇mにて総隊命令あり 山の頂上は友軍の占領するところとなった為また背のうを置きさっきの部落に退る 二回の攻撃に負傷者三名 誰かぼた餅を作ったものがある 金子朝より大隊の担架兵に出る
十一月三十日 快晴
待機姿勢のまま夜を過ごす 未明第三小隊と第二小隊の一部が居った 隣の家に火災起きる 持出しそこねたものも大分あるらしい 朝6時三〇分命あり 本日は旅団の予備隊旅団に合するまで総隊本部に続行 午前中花山の麓まで進出 正午友軍が山頂を占領するのを見る 山頂に居る第三大隊の為食事の準備 分隊では金沢、平沢、飯運搬にて頂上へ行く その飯を待たず出発 麓を左より廻り旅団に追いつく夜下土哨に出る 花山の麓には大きな兵舎があるとのこと同郷の今井少尉山頂にて戦死す |