小千谷地域と近隣のまち・むらを結ぶホームページ


戊辰戦争「最大の激戦」

―おぢや地域を中心とした―

幕末の領主

郡別による「小千谷地域と近隣のまち・むら」の支配と石高
現在の地域 江戸時代の郡名
小千谷市、十日町市、北・中・南魚沼郡 魚沼郡
山古志村、小千谷市東山地区・浦柄・横渡 古志郡
小千谷市片貝町・片貝山屋・高梨町 三島郡
小国町 刈羽郡


『旧高旧領取調帳』による支配と石高

魚沼郡

三島郡
出雲崎支配所 39196.5045石 代官所(篠本)支配 780.045石
会津藩預所 25130.4965石 会津藩領 436.947石
会津藩領 23715.806石 長岡藩領 608.2石
桑名藩領 4087.795石

刈羽郡
桑名藩預 3143.376石 長岡藩領 2948.49178石
清崎藩領 3143.376石 桑名藩預 1122.29522石
脇ノ町支配所 2461.98石 上ノ山藩領 2542.487石

古志郡
桑名藩領 511.439石
桑名藩領 1018.361石
長岡藩領 161.242石

会津藩

 寛永20年(1643)、2代将軍秀忠の第3子保科正之が初代藩主となってから、代々松平氏を称し継承、幕末に至った。
最後の藩主容保は、嘉永5年(1852)に領地を受け継いだ。京都守護職に任命されるなど幕政にも参与する。
 鳥羽・伏見の戦いでは桑名藩とともに旧幕府の主力となったが、征討軍に敗れた。藩地会津へ帰った容保は会津若松城に篭城し、旧幕府側で征討軍に対する最も激しい抵抗を示した。

 享保年間に越後の幕府領が諸藩の預所となったとき魚沼郡の大部分が会津預の支配となる。この預地は宝暦年間に再び幕府直轄支配となるが、明和年間から会津預所となる。以後、部分的な領地変動があるが、小千谷地域の大部分が幕末まで会津預所であった。

桑名藩

 幕末の桑名藩主松平定敬は、会津藩主松平容保の実弟で、戊辰戦争では征討軍に抗して柏崎、会津、米沢、福島などで転戦した。

 松平越中守家と称された松平氏は、宝永7年(1710)に伊勢国桑名から高田に入封。頚城、刈羽、三島、蒲原郡内に領地を与えられた。寛保元年(1741)高田から奥州白河に転封。魚沼郡内などの領地も与えられ、刈羽、三島郡の大部分は白河藩領となった。柏崎(大窪村)には越後領統治のため陣屋が置かれた。
 文政6年(1823)白河から再び桑名に転封。刈羽、三島郡の領地は引き続き認められたので、柏崎陣屋は桑名藩の陣屋として幕末まで続いた。

 桑名藩の幕末の領地・預地は、現在の山古志村、小千谷市の東山地区(塩谷を除く)。小国町、川西町、十日町市、広神村、湯之谷村、小出町、大和町などの一部。