【川井城址】

十九半名の一名であった卯ノ木地内から望む
所在地:小千谷市川井字城ノ外
川井または河井とも書く。内ヶ巻地区にあることから小千谷市では指定文化財「内ヶ巻城」としている。 |
信濃川・魚野川通船を監視するために利用され、天正6年(1579)には上杉景勝が上田口(現南魚沼)のかなめとして小川左衛門に守将を命じている(『越佐史料』)。
天文12年(1543)の潮音寺所蔵の観音堂再興の棟札には、川井地頭の宮将監と田中蔵人の名が見られる。宮氏と田中氏が城主に関係する者であろう。
言い伝えでは上野国(群馬県)新田一族の田中大蔵が居城し、川井は田中氏の支配にあったという。
城主田中氏は周辺20カ村を十九半名とし支配した。名主は苗字帯刀が許されていたといわれ、冬井の名主大渕市右衛門は城主田中大内蔵よりお墨付きを賜った(『新編会津風土記』)。
愛染明王と妙光寺は、川井(内ヶ巻)城主により当地に伝えられたと言われる。
川井城の近く位置した愛染明王 |