≪しみわたり≫
文・柳幸宏
とかく、雪は暗い冬の生活を思わせる。そのなかで、「しみわたり」は明るい春先の風物詩であり、魚沼の農村の人たちにとって、それは待望の春の前触れの時期ではなかったか。
「しみわたり」は、春先、雪も納まり雪堀りの心配もなく、雪面がざらめ雪でおおわれる頃、よく晴れた厳寒の朝におきる現象で、夜来の厳しい冷込みで、雪面がカチカチに凍り、さら地でも大人がどぶらないで歩けるようになる。これが「しみわたり」である。
私は、昭和十四〜五年頃、城川村桜町の駐在所から小千谷の町外れの中学に通っていた。冬の通学路は遠回りする雪道であるが、「しみわたり」の日は、広い雪原を見通して油新田の外れまで真っすぐ歩いて行ける。途中遮るものもなく、はさ木がところどころに並ぶだけ。
振り向くと、わずかに残る靴跡が真っすぐ続いている。それは二点間の最短距離を意味し、さらに、「三角形の一辺は……」と、幾何の定理の証明を体感する気分で「しみわたり」を満喫したものである。
こんな日の雪道は、路面が凍っていたり凸凹で歩きにくく、雪道に近道はないので時間もかかる。朝は十分間でも貴重である。
足元に気を取られずに歩く気分は実に爽快。空は抜けるように碧く、耳は痛いほど冷たく、吐く息は白い。真っ白な雪原は太陽の反射でダイヤモンドを散りばめたように輝き、緩やかな凹凸をしめす青い陰影は、武骨な少年にも幻想的な気分に誘い込む。
ときには、風に乗って堆肥の匂いが流れてくる、それは春の土の匂いだ。
堆肥の匂いは、風上の「こよひき」が近いからだが、「こよひき」も橇道なしで往来できるので作業もはかどることだろう。
堅く凍った雪も太陽が昇ると徐々に軟らかくなり、やがてどぶるようになる。そうなると、「しみわたり」はできず、通学路はいつもの雪道を通ることになる。「こよひき」も後押しがついて二人がかりとなる。
雪消えが進むと、埋もれていた小川が顔をだしたり、深田や思わぬ所の雪間(雪が一部分消えたた所)から黒い土が見える。こんな場所は、雪面の下が空洞になり、うっかり歩くと落ち込む危険がある。
親たちはそれを知っているから、子供たちの喜びを遮るように、「しみわたり」を止めさせたり、早く引き上げさせたりする。私の「しみわたり」の通学路もそんな場所に出くわすと、三角形の一辺をゆく心算が二辺も三辺もの距離を歩くことになる。
「しみわたり」は、春先の限られた期間内の気象条件などが揃ったときしかできないので、A雪消えまでに何回経験できるかBという数少ないものである。
それだけに、いつまでも心に残るのであろう。
今は、道路の整備も除雪設備も完備されていると聞くので、もう昔のような「しみわたり」の感慨はないのかもしれないが、思い出すままに。
【参考】
鈴木牧之の『北越雪譜』は、雪害を強調しているが、珍しく「雪道の橇引きの効用」を紹介している。
北越雪譜初編 巻之上
(以下原文に添う)
『○雪道
(前略)春は雪凍て銕石のごとくなれば雪車(また雪舟の字をも用う)を以て重きを乗す。里人は雪車に物を乗せ、己れも乗りて雪上を行くこと舟のごとくす。雪中は牛馬の足立たざるゆえ、すべて雪舟を用う。春の雪中重きを負わしむること牛馬に勝る(後略)』
(注)
@ 銕(テツ=鉄の異体字)
A 雪車・雪舟(ともにソリと読み、現在の橇。
牧之は、別項でこれを俗語と注記している) |