<三国街道>
中山道高崎宿から須川・猿ヶ京関所・永井・三国峠を経て越後に至る街道。新治村の三国峠を越えることから三国街道と云われる。
慶長3年(1598)に堀直竒が坂戸城主となってから本格的に整備が行われるようになり、慶長14年(1609)、正式に道中奉行の支配下に入る。
諸大名の参勤交代をはじめ人馬や物資の往来として五街道に次ぐ要路であった。

<三俣宿の脇本陣池田家>
三俣宿は、三国峠を越えてから三番目の宿場で、三宿のなかで一番規模が大きかった。
池田家は文政11年(1828)から正式に脇本陣を勤めるようになった。
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