「片貝・山屋町
安達権蔵家に伝わる
嵯峨御所御用板」 |
嵯峨御所からの鑑札板発見の顛末
今号の表紙は,片貝山屋町の安達元春さんが所蔵している嵯峨御所から発行された御用鑑札である。この御用と墨書された木札が見出されたことに感激し、広く皆様にご紹介できることを大変嬉しく思う。
ご当主の安達元春さんは「むかーし、おらとこは権蔵と言う者がいて,十手を持って,たいそう片貝では幅を利かせていたそうで…。少し短めの大小の刀も有ったし、幕府の御用板もありますて…、確か菊の紋が入っていたようだが…」と話されたことが事の発端である。
「えっ、御用板、菊の紋が入った?」と聞き直し,とっさにあることが頭に浮かんだ。驚きと大きな興味で胸が高鳴り,「御用板ってどんなものですか」と問い返すと、「これくらいの木の板に御用と書かれていますて…」と安達さんは,板の大きさを手振りで示された。
熱を帯びてきた二人の会話は続き「菊の紋のようだがな…」と安達さんが再度口にされたとき,私は心の中で「オッ コレハ」と叫んでいた。ピンと来るものがあったのだ。
「もしかして嵯峨御所と書いてあるのでは?」とたたみかけた私に「いゃ?」と首をかしげ,「よし、俺、じぁこれから家に取りに行って来る」と言って立ち上がり,タバコの火を消し急いで吹雪の中へ出て行ったのだった。
一時間ほどしてから,安達さんが「御用板」の包みを抱えてて現れた。開口一番「おまえさんが言うとおり、嵯峨御所と書いてありましたて…」と。私は夢にまで見た『嵯峨御所
御用 鑑札』を目にし,正に感激の対面であった。
「安達さん、この鑑札誰かに見せたり話したりしたことはありますか?」「いゃ、おまえさんに初めて見せたし,俺の昔の話など誰でも相手にして聞いてくれる者などいませんて…」と安達さんは言う。
私が配管設備工事を営む安達さんと知り合えたのは,大地震による家屋新築,補強復旧工事で我が家にくるようになったことがきっかけである。さらにこのことによって,もう一枚新発見された鑑札についての顛末も,安達さんに是非にとお頼みして,お寄せいただいた玉稿の後に述べておきたい。 (小野坂庄一記) |