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明治・大正・昭和
くらしの移り変わり

雪国のくらし(1)

雪国のくらし(2)

雪国のくらし(3)

雪国のくらし(4)

写真で見る雪国のくらし(4)

子どもたち

【塩運びを見る子供たち】

男の子も女の子もみんな綿入れを着ていた。昔の子供たちはよく鼻汁がでたもので、鼻をぬぐっていた袖口はピカピカ光っていた。
暮らしの中で貴重な塩は、かます一俵で運んだ。
《大正時代・小千谷市本町》


古いスキーを利用して作った箱ぞり

男の子がきているのは、遊び盛りの子供達にかかせない袖なしの綿入伴天
《山古志村種苧原》


どんな小さな坂でも子供達は上手に遊ぶ。
《小千谷市元町(旧下タ町)》



みて みて すべれたよ

雪まつりで行われた雪像コンクール。旅屋町・本町・川岸町の子供達によって作られた。(雪像山本元帥)

普段着の綿入れを着てスキーをする子どもたち。
《昭和6年・ひ生村本村》

雪国の装い


<車夫>もも引を履いて、かんじきを履き雨傘(饅頭笠)を被った。
黒いマントの人々は旦那衆。
《小千谷市本町》


真綿を何枚も重ねて作った着綿を背中に(写真・右)

雪国の家は窓がふさがって穴のようになってしまうので一寸の光も貴重である。冬のあかでんき(晴天)はくらしの中ではありがたかった。


<みのぼうし>
ワラはあたたかく雪の滑りもよいので冬には欠かせない装いであった。


<つららの下がる寒い朝>
おこそ頭巾をして新聞配達(写真・左)
頭に被っているのはメリンスに裏地をつけて耳掛がついている。(写真・右)
《小千谷市木津地区》