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-江戸時代のむら村- |
まち・むらの歴史 |
片貝村古料・新料
川口村 江戸時代初期〜中期の川口村は、現在の西川口を含む広大な地域であった。古くから交通の要所であり、慶長年間の堀直竒支配のときにはすでに宿駅の機能を担っていた。慶安2年(1649)以後、三国街道沿いの本村は宿場町として形成され人馬往来で賑わった。 川口組の大肝煎を務め、小千谷組では代々庄屋であった中林家は、宿場の本陣として大名や役人などの宿泊先に当てられていた。 魚野川対岸の地域は開発途中で、原野が広がっていた。元禄7年(1694)に検地を受けた「中林新田」は、大庄屋中林太左衛門によって開墾されたところで元禄11年(1698)に「原新田」村として分村。 川口村は寛保3年(1743)に支配替えが行われ、西川口が天保5年(1834)まで糸魚川藩領に属す。同領はその後、幕府領に変わり西川口村として分村。 天保11年(1840)には、信濃川左岸の西倉前島と桑巻島が法坂村(小国)山崎氏の新田開発により山崎新田として分村。
二十村 二十村は、小千谷市、長岡市、川口町、山古志村、広神村に分布する山間地域の総称として用いられ、二十村郷、山古志郷などとも呼ばれている。この地域は牛の角突き習俗や錦鯉発祥の地として広く知られている。
<牛の角突き> 千年の歴史があるといわれ、神事として行われてきた習俗。 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』に「当国古志郡二十村には、毎年三、四月の頃、丑の日あるいは寅の日を選んで、角突きという闘牛の神事がある」などと紹介されている。 戦後は一時期禁止されたこともあったが、昭和54年には国の重要無形民族文化財に指定され、現在も神事として受け継がれている。
広域ふるさと文化協会発行の「『広域文化』がゑるっぱ群 第2号」の「わがまち・わがむら」に、小千谷市・川口町・山古志村・小国町の各町内(大字)ごとに歴史・文化がまとめられ掲載されています。 <無断転載禁止> |